女子美術大学付属高等学校・中学校|デジタルパンフレット
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女子のための美術学校、女子美術学校が設立されたのは、1900(明治33)年のことです。創立者の横井玉子は「女子美術学校設立の趣旨」の中で、美術教育が男子に限られている現状を嘆き、三つの柱を掲げました。1.女子に美術教育を授け、女子の特長ある才能を発揮させること2.美術教育によって技能を習得させ、女子の経済的自立に資し、女性の社会的地位を向上させること3.女子師範学校や女学校の美術教師を養成すること折しも時は日清戦争と日露戦争の間に当たり、日本の国家が次第に大きくなってゆく中で、女子教育の目的は良妻賢母の育成にあるとされました。そんな時代に、女子美術学校は、明確に美術による女性の自立を掲げて誕生したのでした。横井玉子の精神は、佐藤志津に引き継がれます。大正デモクラシーの時代、ハイカラな女子美生が颯爽と街を行く姿が人目を引きました。1917(大正6)年に出版された『校風漫画』という本の中には、最新の髪型で「画箱を肩に、三脚椅子、三脚台を小わきに、写生用洋傘、カンバスを引ひっ抱かかえて、長い袴はかまに塵ちりを蹴けって、成るべく人目の多いところを選んで、これ見よがしに臆おくめん面もなく闊かっぽ歩往来する」女子美生の姿が描かれています。女子美術大学付属高等学校・中学校の前身である女子美術学校附属高等女学校は、1915(大正4)年、佐藤志津によって、わが国の文化に貢献する有能な女性を育成するという高い理想のもとに開校されました。長い戦争の時代には、美術教育に対する世間の目も冷淡になり、空襲で校舎も全焼しました。それでも、美を愛する心は絶えることなく受け継がれ、戦後は、新制の高等学校・中学校として新たなスタートをきりました。そして、現在に至るまで、女子美は、多くのアーティスト、クリエイターを輩出し続けています。1900(明治33)年 私立女子美術学校(現女子美術大学の前身)設立の許可を受ける1901(明治34)年 本郷弓町にて開校1909(明治42)年 本郷菊坂町に新築移転1915(大正4)年 私立女子美術学校附属高等女学校(現女子美術大学付属 1916(大正5)年 私立女子美術学校附属高等女学校を佐藤高等女学校と改称1929(昭和4)年 女子美術学校を女子美術専門学校と改称1935(昭和10)年 女子美術専門学校が現在の杉並区和田に移転1945(昭和20)年 佐藤高等女学校の菊坂校舎が空襲で全焼し、現在の杉並区和田に移転1947(昭和22)年 佐藤中学校設置1948(昭和23)年 学制改革により、佐藤高等学校(旧佐藤高等女学校)発足1949(昭和24)年 学制改革により、女子美術大学(旧女子美術専門学校)発足1951(昭和26)年 佐藤高等学校・中学校を女子美術大学付属高等学校・中学校と改称1990(平成2)年 女子美術大学 相模原新校舎に移転1994(平成6)年 女子美術大学大学院美術研究科(修士課程)を設置1996(平成8)年 女子美術大学大学院美術研究科(博士後期課程)を設置2000(平成12)年 女子美術大学創立100周年記念式典2004(平成16)年 日中国際交流開始2007(平成19)年 パリ、イル・ド・フランス美術研修旅行開始2010(平成22)年 女子美術大学付属高等学校・中学校 新校舎 完成 2011(平成23)年 オーストラリア研修旅行開始2013(平成25)年 女子美術大学付属高等学校・中学校 新校庭 完成2014(平成26)年 イタリア美術研修旅行開始2015(平成27)年 女子美術大学付属高等学校・中学校 創立100周年2020(令和2)年 女子美術大学創立120周年高等学校・中学校の前身)設立 校長に佐藤志津就任女子美術大学創立110周年記念式典佐藤 志津 横井 玉子25女子美のあゆみ

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