和洋九段女子中学校高等学校|デジタルパンフレット
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シドニーのSt 校訓「先を見て齊える」制定オーストラリアでのホームステイ及び語学研修開始以降、3期にわたる校舎新築工事を実施校名を和洋九段女子中学校高等学校に改称中高一貫教育開始(昭和41年度以降継続して行われるようになる)扇の舞が始まる和洋女子大学附属九段女子中学校・高等学校に名称変更和洋女子大学発足に伴い、和洋女子専門学校が大学に昇格翌年和洋九段女子高等学校発足新教育制度により、和洋九段女子中学校発足和洋女子専門学校が千葉県市川市国府台に移転和洋裁縫女学校を和洋女子学院に改称高等師範科を和洋女子専門学校に改組校友会むら竹会発足溝部ミツヱ関口富佐三島よし大妻コタカ卒業生によって各地に学校が設立されたこの時期より多くの家庭科教員を輩出し、次いで中等教育無試験検定による特典が与えられた文部省より中等教員受験資格認定いわゆる「和洋型教育」が展開された割烹・教育学などの科目も開講され、和裁・洋裁の他に、国文・漢文・習字・数学・英語・生花・和洋裁縫女学校に改称洋裁教育を学校教育に取り入れ、全国的に注目をあびた堀越千代により和洋裁縫女学院創設Scholasticaʼs Coegeと姉妹校提携ll (後半)平成8年平成6年平成4年昭和50年昭和30年代昭和24年昭和22年昭和21年昭和11年昭和3年大正時代明治40年代明治34年明治30年現溝部学園(大分県)現郡山開成学園(福島県) 現三島学園(宮城県)現大妻学院(東京都)  など15校以上設立される以来126年。ますます注目が集まる「女性の力」を、さらなる未来へとつなげていきます。明治維新後に上京し、18歳で堀越修一郎と結婚します。教育者であった夫の影響を受け、国文学や書道、数学などを専門家から学びました。また、和裁・洋裁についても同様で、特に洋裁は当時の最先端であったフランス式洋裁を学びました。その後、千代は「手に職を持ち自立して生きていける人材の育成」を目指し、明治30年に和洋裁縫女学院を創立し、以来約40年間校長をつとめました。千代は時代の要請を敏感に受けとめ対応しつつ、かつ時代を先取りする先進的な女性の育成を心がけました。多くの苦難を乗り越え、和洋での教育に心血を注いだ千代は、校内敷地にある自宅でその生涯を閉じます。専門以外にも幅広く学ぶことが人間として大きく成長するには大事であると説き、自らも実践した千代の姿勢と「想い」は、現在の和洋九段にも連綿と受け継がれています。堀越千代の教育理念をより発展させるため、学園創立100周年を機に制定されました。その意味は、「先を見通す知性を持ち、有事へ対応しえる能力を持ち、それを奥に秘め、あわてず静かに待つ」ということ。校訓が示すこの人間像は、和洋九段における教育のモデルとなっています。校 訓ととの03 Wayo Kudan Girls Junior & Senior High School創設者 堀越千代校章明治時代の卒業生現在の校舎和洋126年の「ストーリー」学校創立の原点は「女性の自立」。明治の代に未来を想い描いた創立者の確信でした。-和洋九段女子のはじまり-和洋九段の創設者である堀越千代(ほりこしちよ)は、幕末の盛岡に生まれました。先を見て齊えるWayoStoriesHistory

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