明治学院高等学校|デジタルパンフレット
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■にも活■もろともに遠く望みておのが志つち■■あらば壌霄■眼さめよ起GakuMeiji in H lSeniorighSchooわかひあふれて青もの年つちを窮めむ壌03明治学院校歌は、島崎藤村の作詞です。明治39年に第二代総理井深梶之助より依頼され作詞されたこの校歌は、前途洋々とした若者たちの姿を力強く描いています。藤村にとって明治学院は特別な存在でした。立身出世を目指し、英語を学ぶために入学した藤村でしたが、明治学院で学ぶことによって文学的素養を開花させました。また校歌作詞当時は、詩人としての名声と決別し、自然主義作家としての第一歩を踏み出したときでした。藤村が新天地を切り開いた時、明治学院は少なからず関わっていたのです。冒頭の「人の世の若き命のあさぼらけ」とは、人生のはじまりの夜明けを意味し、まさに自らの意思で人生を切り開くスタート地点に立ち、新しい人生を踏み出す若者たちの姿です。若き後輩たちの姿に、藤村自身の姿を重ねていたのではないでしょうか。生きてゆく中では苦しいことも悲しいこともあり、決して楽しいことだけではありません。それでも常に未来を見据え、力強く新たな道を切り開いてほしい。そういうメッセージが込められているのです。いのち■■緑葉は香■■あらば霄の思ひを伝ふときよ代は待てりし道を開かむきむ島崎藤村(1872〜1943)明治学院は、日本で最も歴史のあるキリスト教主義の学校で、創立は江戸時代末1863年ヘボン塾開設の年です。2023年には創立160周年を迎えました。創立者には3人の宣教師が挙げられます。ヘボン式ローマ字で知られるJ.C.ヘボンを筆頭に、S.R.ブラウン、G.H.F.フルベッキです。明治学院は、主に英語を学ぶヘボン塾と、キリスト教神学を学ぶブラウン塾の二つの流れがありました。ヘボン塾とブラウン塾はそれぞれ後継者たちの手を経て「東京一致英和学校」と「東京一致神学校」へ発展し、これらの学校が合併し、1887年白金の地に移転、「明治学院」となりました。現在も、構内には明治・大正時代に建築された文化財指定の建物が残され、学院の歴史を物語っています。卒業生が訪れた時、古い建物が変わらずに残されている構内の風景に感慨を抱くようです。人の世の若き生命のあさぼらけ学院の鐘は響きてわれひとの胸うつところ白金の丘に根深く記念樹の立てるを見よや心せよ学びの友よ新しき時ああ行けたたかへ雄雄しかれてよ畏るるなかれ明治学院校歌Founding Principles創立者の精神

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