明治学院高等学校|デジタルパンフレット
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■■■■■■■■■■School Guide 202404HEPBURNBROWN FRIDOLIN VERBECK ニューヨークでの著名な医師の地位を捨て、宣教医として横浜開港の年に来日。日本語辞書『和英語林集成』を編纂し、「ヘボン式ローマ字」を発案。夫人クララと共に英学塾「ヘボン塾」を開きました。聖書を初めて和訳した中心人物。明治学院初代総理。ここ白金に明治学院が開設されたのは1887(明治20)年のことでした。以来、明治学院礼拝堂や学舎があるこの地は「白金の丘」と呼ばれ、親しまれています。明治学院普通学部第1回生には、島崎藤村・馬場孤蝶・戸川秋骨・和田英作らがいます。いずれも作家や評論家、そして画家として日本近代文化の礎となった人々です。当時明治学院は、外国人宣教師たちによる英語での講義がほとんどで、彼らは西洋文化のロマンティシズムの影響を青年期という多感な時期に受け、文化的素養が養われたのでした。その後も明治学院の持つヘボンと共に新約聖書を和訳し翻訳委員会委員長を務めました。自宅で開いた「ブラウン塾」では井深梶之助や植村正久などの人物を教え、この塾は明治学院の前身校「東京一致神学校」へと発展します。ブラウンと共に来日、長崎で大隈重信、副島種臣など明治の重臣を教え、明治政府の法律顧問と大学南校(東京大学の前身)の教頭を務めました。1887年に完成した『旧約聖書』の詩篇の美しい言葉は彼の訳です。明治学院初代理事会議長・教授。ロマンティシズムは多くの青少年たちに影響を与えました。随筆の名手として知られる小沼丹や、日本オペラの創設者として名高い藤原義江もそのひとりです。また日本人だけでなく、アジア圏からの留学生にも影響を与え、韓国の夏目漱石ともいわれる李なども白金の丘で学び作家としての第一歩を踏み出しました。キリスト教主義にもとづき、実学のみにとらわれず、教養を大切にしてきた明治学院という土壌が、生徒一人ひとりの才能を開花させたのです。洙や、金東仁■光【明治学院 歴史資料館】 歴史資料館は、明治学院記念館1階に展示室を設け、常設展示のほか企画・特別展示などを行っております。どなたでもご自由にご覧いただけます。『和英語林集成』(1867)校歌碑 (1937)開館時間9:00〜16:00(月〜金)明治学院高等学校沿革1859安政 6年ヘボン、ブラウン、フルベッキ来日1863文久 3年ヘボン横浜で英学塾(ヘボン塾)をひらく(明治学院創立)1867慶應 3年ヘボン『和英語林集成』を完成1874明治 7年新約聖書翻訳委員会発足(ヘボン、ブラウンが協力)1877明治10年築地に東京一致神学校開設1879明治12年新約聖書翻訳完成1886明治19年東京一致神学校・東京一致英和学校合併、「明治学院」の名称決定1887明治20年白金に移転、神学部・専門学部・1889明治22年ヘボン初代総理に就任1907明治40年校歌制定1911明治44年ヘボン没1915大正 4年普通学部を中学部と改称1916大正 5年礼拝堂献堂1930昭和 5年神学部分離・日本神学校設立普通学部を設置(現東京神学大学)1937昭和12年校歌碑建設1947昭和22年新制明治学院中学校設置1948昭和23年新制明治学院高等学校設置1949昭和24年新制明治学院大学設置1952昭和27年中学・高校完全分離1966昭和41年パイプオルガン設置、中学校東村山に移転1991平成 3年男女共学に移行、2009平成21年新パイプオルガン設置2013平成25年創立150周年2016平成28年礼拝堂献堂100周年2022令和 4年高校新校舎完成高校新校舎(現本館)完成入館料無料J.C.ヘボンJAMES CURTISS.R.ブラウンSAMUEL ROBBINSG.H.F.フルベッキGUIDO HERMAN白金の丘に学んだ文人たち

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