明治学院高等学校|デジタルパンフレット
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□□洙や、金□□□□光□□東□□仁S c h o o l G u i d e 2 0 2 604S.R. ブラウンSAMUEL ROBBINSBROWN G.H.F. フルベッキGUIDO HERMANFRIDOLIN VERBECK J.C. ヘボンJAMES CURTISHEPBURN白 金 の 丘 に 学 ん だ 文 人 たちニューヨークでの著名な医師の地位を捨て、宣教医として横浜開港の年に来日。日 本 語 辞 書『 和 英 語 林 集成 』を 編 纂し 、「 ヘ ボン 式ローマ字」を発案。夫人クララと共に英学塾「ヘボン塾」を開きました。聖書を初めて和訳した中心人物。明治学院初代総理。ヘボンと共に新 約 聖 書を和訳し翻訳委員会委員長を務めました。自宅で開いた「ブラウン塾」では井深梶之助や植村正久などの人物を教え、この塾は明治学院の前身校「東京一致神学校」へと発展します。ブラウンと共に来日、長崎で大隈重信、副島種臣など明 治 の重 臣を教え、明 治政府の法律顧問と大学南校(東京大学の前身)の教頭を務めました。1887年に完成した『 旧約聖書 』の詩篇の美しい言葉は彼の訳です。明治学院初 代理事会議長・教授。歴史資料館は、明治学院記念館1階に展示室を設け、常設展示のほか企画・特別展示などを行っております。どなたでもご自由にご覧いただけます。ここ白 金に明 治 学 院が開 設されたのは1887(明治20)年のことでした。以来、明 治 学 院 礼 拝 堂や学 舎があるこの地は「白金の丘」と呼ばれ、親しまれています。明治学院普通学部第1回生には、島崎藤村・馬場孤蝶・戸川秋骨・和田英作らがいます。いずれも作家や評論家、そして画家として日本近代文化の礎となった人々です。当時明治学院は、外国人宣教師たちによる英語での講義がほとんどで、彼らは西洋文化のロマンティシズムの影響を青年期という多感な時期に受け、文化的素養が養われたのでした。 その後も明治学院の持つロマンティシズムは多くの青少年たちに影響を与えました。 随筆の名手として知られる小沼丹や、日本オペラの創設者として名高い藤原義江もそのひとりです。また日本人だけでなく、アジア圏からの留学生にも影響を与え、韓国の夏目漱石ともいわれる□李なども白金の丘で学び作家としての第一歩を踏み出しました。キリスト教主義にもとづき、実学のみにとらわれず、教養を大切にしてきた明治学院という土壌が、生徒一人ひとりの才能を開花させたのです。入 館 料1859 安政 6年 ヘボン、ブラウン、フルベッキ来日1863 文久 3年1867 慶應 3年 ヘボン『和英語林集成』を完成1874 明治 7年1877 明治10年 築地に東京一致神学校開設1879 明治12年 新約聖書翻訳完成1886 明治19年1887 明治20年1889 明治22年 ヘボン初代総理に就任1907 明治40年 校歌制定1911 明治44年 ヘボン没1915 大正 4年 普通学部を中学部と改称1916 大正 5年 礼拝堂献堂1930 昭和 5年1937 昭和12年 校歌碑建設1947 昭和22年 新制明治学院中学校設置1948 昭和23年 新制明治学院高等学校設置1949 昭和24年 新制明治学院大学設置1952 昭和27年 中学・高校完全分離1966 昭和41年1991 平成 3年2009 平成21年 新パイプオルガン設置2013 平成25年 創立150周年2016 平成28年 礼拝堂献堂100周年2022 令和 4年 高校新校舎完成ヘボン横浜で英学塾(ヘボン塾)をひらく(明治学院創立)『和英語林集成』(1867)新約聖書翻訳委員会発足(ヘボン、ブラウンが協力)東京一致神学校・東京一致英和学校合併、「明治学院」の名称決定白金に移転、神学部・専門学部・普通学部を設置(現東京神学大学)神学部分離・日本神学校設立校歌碑 (1937)パイプオルガン設置、中学校東村山に移転男女共学に移行、高校新校舎(現本館)完成開館時間無料【明治学院 歴史資料館】 明 治 学 院 高 等 学 校 沿 革9:00〜16:00(月〜金)

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