中ちゅうよう※庸謙けん譲じょう※141905年 (明治38年)…1913年 (大正2年) …1915年 (大正4年) …1926年 (大正15年)…1950年 (昭和25年)… 2005年 (平成17年)… 2015年 (平成27年)… 2020年 (令和2年)… ※中庸:偏ることなく、常に変わらないこと ※奢侈:度を過ぎて贅沢なこと ※謙譲:自分をへりくだり、相手を高めること※節操:自分の信じる主義・主張などを守り通すこと ※須臾:ほんの少しの間東洋女子高等学校 理事長・校長東洋女子高等学校(当時の校名は東洋女学校)創立。 木造2階建ての校舎には音楽室、 料理室、 裁縫室、教員室を含む8つの部屋がありました。 課外授業として茶道と園芸を採用。 女性としての教養を身につけるために、 積極的に実施しました。生徒数が300名を超えました。制服が和服から洋服になりました。 戦災で焼失した校舎が新しく建て直され、戦後初の同窓会を催すなど、 「再生」がキーワードとなリました。創立百周年を迎えました。校舎・体育館・校庭などの全面リニューアルを行いました。総合進学コースで8系統別学習をスタートしました。 この120年間、政治・経済・文化など多岐にわたる価値観の変化の中で、日本では教育の在り方について、幾度も見直されてきました。この激動の20世紀において、本校では一貫して「女性の自立」を目指して「知性と理性」のバランスの取れた女性の育成に努めてきました。 本校教育の原点は「五訓」であり、特に「天職」と「中庸」の精神は現代社会において一層その重要性を増しています。天職とは知性と理性を兼ね備えた感性豊かな女性像であり、その人しか持ちえない個性を自分らしさと認め極めていくことです。中庸とは幅広い見識を持って世界を俯瞰することで、新たな価値観を生み出す源泉です。 この精神は本校の教育的指針として、今尚生き続けています。個性は感性の結実であり、中庸は文・理を超えた総合力・判断力と理解すると、この五訓の精神は現代社会においても、論理的思考に基づく指針であったと言えます。 現在の本校の教育は、興味・関心から課題を発見、更にその疑問を紐解く探究型学習へと継承されています。時代は常に変化しながら姿を変えていきますが、本校の教育の原点は少しも揺らぐことはありません。現状に満足することなく飽くなき探究心を持ち続けることで、社会を牽引する女性を育成しています。創立以来、積極的に社会で活躍できる女性の育成を手掛けてきた東洋女子。 今もその想いは変わらず、学園に息づいています。「知性」と「品格」を象徴する八重桜を胸に、本校はこれからも、輝く未来へ向かってさらなる歩みを進めてまいります。創立者 村■■■■上専■■ ■■■精1851〜1929年 仏教学者、 文学博士、 東京帝国大学名誉教授1905(明治38)年、 本校を設立し、 大正時代の末まで初代校長を務めました。1929(昭和4)年、78歳の生涯を終えました。逝去に際し、 天皇陛下より特旨叙位を受けました。WebをCHECK天 職質 素節 操今も受け継ぐ、創立者の想い女子は天職の男子に異なるものあるを知りて其その実行を怠る勿なかれ [女子には男子とは異なる天職があるから、 それを忘れず自己実現に向けて努めなさい] 女子の通つう弊へいは極端に走るにあることを知りて百事其その中庸を逸いっする勿なかれ[極端に偏った考えや行動をとることなく 、どんなときも中道中正でありなさい] 衣服髪飾等すべて質素を旨となし虚きょしょくしゃし※飾奢侈の流行に走ること勿なかれ[衣服、 頭髪などすべて質素を心がけ、虚飾や奢侈な流行に走らないようにしなさい] 男女同権の意味を誤解して傲慢の式に陥り謙譲の美徳を失すること勿なかれ [傲慢な態度をとることなく、謙虚で慎ましさを持った女性になりなさい]女性の生命は一に節操にあることを自覚して須しゅゆ※臾も之を忘ること勿なかれ[自らの信念に基づき、言動に責任を持って、正しい道を進みなさい]〜創立120周年と建学の精神〜沿革「東洋女子高校は2025年4月16日に 創立120周年を迎えます。」
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