自由ヶ丘学園高等学校|デジタルパンフレット
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29旧校舎・講堂(昭和39年)/写真提供:小池汪氏 本校の校章は、エジプト神話の霊鳥「フェニックス」を模しています。フェニックスは真紅と金色の羽に覆われた不死鳥です。自ら神壇の霊火に身を投じ、その灰から再び新しい生命を得て飛び立つため、不死永生の象徴とされています。若人が持つ無限の生命力と純真な情熱はまるで不死鳥のようであり、たゆまぬ前進と創造への願いを込めています。「自由が丘」地名の由来に 「自由が丘」の地名は、昭和2年(1927)に設立された自由ヶ丘学園(幼稚園・小学校)が発祥となっています。 当時、現在の自由が丘駅は九品仏前駅と呼ばれていましたが、昭和4年(1929)、九品仏駅の新設に伴い、学校名にちなんで「自由ヶ丘駅」と改称しました。その後、地域の方々からの「地名も自由ヶ丘に」という強い要望を受け、昭和7年(1932)に「自由ヶ丘」の地名が誕生。昭和40年(1965)には表記を「自由が丘」に改称しました。 本校のスクールカラーである「スカイブルー」は、町のシンボルとして駅前広場に建造された女神像「あをそら」(澤田政廣氏作)に由来しています。藤田喜作、京子夫妻 「自由が丘」の地名の由来、さらにこの地で育つ学生への想いや学園のあり方をシンボルマークに反映しました。自由が丘の地形を盾に見立て、盾の左の紺は誠実・信頼、右の赤(エンジ)は情熱・挑戦を表しています。「J」形の羽はペンとフェニックスを表し、青空の色としています。円周は世界をイメージし、グローバルな視野で世界へ羽ばたいてほしいという学園の想いを表しています。藤田喜作の教育理念の校訓碑校章の由来校訓 本校では、建学の理念に基づいた人格の形成を目標に「人に親しまれ信頼される人間になれ」という校訓を掲げています。 長い人生を自力で歩むためには、「人に親しまれる人間的な魅力と自らの意思が社会の発展に寄与する」という自信に裏付けられた信頼を得ることが必要です。本校は自由ヶ丘学園中学校高等学校初代理事長の藤田喜作が提唱したこの教育理念を校訓として今に受け継いでいます。School uniform創立94年のあゆみ

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