国学院大学久我山高等学校|デジタルパンフレット
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もっとくわしくいわゆる“規律がしっかりしている高校”がいいのではないかと、そんなニュアンスで母から薦められたのが久我山でした。特に男女別学を意識したわけではありませんが、同性という一種の共通項がある中で、互いのことを分かり合える仲間に恵まれた3年間でした。久我山祭では男子校っぽいノリで映画を作成し、クラスがひとつになった思い出も消えることはありません。約1年半はコロナ禍で、クラブ活動もフルに楽しめたわけではありませんが、全国屈指の強豪であるサッカー部に入り、短期間でもモチベーションの高い仲間たちと過ごした時間は貴重なものでした。ストイックに練習を続けるレギュラー選手たちの姿を通して、刺激を受けることがたくさんありました。月曜日以外は毎日クラブ活動がありましたが、練習は最大でも2時間と決められているので、サッカーをした後は、帰宅してからの自宅学習を2〜3時間、そして最後にストレッチなり筋トレをして寝る…というのを勉強もクラブ活動もきちんとできる学校を探している中で、久我山の女声合唱部の存在を知りました。ところが高校入試が終わった頃からコロナ禍に入り、入部できたのは秋のことでした。本来の学校生活がなかなか戻らない厳しい状況の中、何か別のことをやろうと決め、飛び込んだのが『The Kugayama Times』の編集でした。高2からは副編集長を任され、公園のバリアフリー化の進捗状況について取材したこともありました。一面を飾ることになったその記事は、せっかくなら色覚異常の方にも配慮した誌面にしようと考え、グラフの色にも工夫を施して好評を博しました。一方、女声合唱部では部長を務めていましたが、活動制限があるため大会にも出ていない現実が悔しくて、高3の7月まで活動期間を延長して頑張りました。成績が下がるとクラブ活動に専念できなくなってしまうので、隙間時間はすべて勉強に充てるなど、時間の有効活用にも徹底して取り組みまし日々のルーティーンにしていました。こうした時間の使い方にこだわったのも、自分ならではのストイックさにこだわったからかもしれません。ちなみに入学時から国公立のトップをめざしていた私は、早寝早起きと共に、登校前の約1時間の学習も日課にしていました。残念ながら当初からの目標だった東大合格には至りませんでしたが、落ち込むことなくすぐに頭を切り替えられたのも、規律ある久我山で学んだことから得られた達成感によるものです。表現は難しいのですが、ある意味、“いろんな学び”があることを知ることができた3年間は、まちがいなく私の宝物になっています。そんな私は今、一橋大学ソーシャル・データサイエンス学部の「1期生」として、新たにできた学友たちと充実の大学生活を送っています。就活前のインターンも視野に入れながら、データサイエンスの世界を未来へとつなげたいと考えています。た。医療看護学部ヘの進学を考えるきっかけになったのは、中学時代に好んで観ていた医療ドラマの影響からですが、久我山に入って理系科目のおもしろさに夢中になった私は、同時に理工学部の進学も考えるようになっていました。悩んでもなかなか答えが見つからない私に、「好きなようにすればいい」とアドバイスをくれたのは恩師でした。自分を信じることの大切さを気づかせてくれたようなその言葉は、「最後は自分で決める」との決意につながりました。問題を次々と出してくれ、毎日質問に行っても快く指導してくれた先生方に感謝しています。大学の授業には実に多様な人材がゲストスピーカーとしてやってきます。国内外で看護師として働く方もいれば、世界保健機関(WHO)で働く方もいます。自分は何をすべきかまたまた悩んでいる私ですが、常に先々に備えた準備を怠ることなく、「最後は自分で決めたい」と思っています。14卒業生 須﨑 香帆さん慶應義塾大学看護医療学部 2年大学生|2023年3月卒業卒業生 佐宗 恒希さん大学生|2022年3月卒業一橋大学 ソーシャル・データサイエンス学部 2年振り返れば懐かしい母校、仲間たちと恩師たちの出会いがここに。悩んで、笑って、涙して、それぞれに走り抜けた先輩たちの青春譜です。規律ある久我山の環境の中でストイックに頂点をめざした貴重な3年間は私の宝物ですイレギュラーな日々の中自分を信じぬいた私の答えは「最後は自分で決める」でした07卒業生からのメッセージ

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