巣鴨中学校・巣鴨高等学校|デジタルパンフレット
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Message-豊かな可能性の発見と育成創立者 遠藤 隆吉先生堀内 不二夫校長少年は可能体です。その内に無限の可能性を秘めています。その姿は、力強く羽ばたいて、大空へ飛び立たんとする若鳥に似ています。この先、どこまで高く、どこまで遠くへ飛翔していくのか、今は誰にも分かりません。ただ少年は将来成長し活躍する、大きな可能性をその内に秘めているということは、間違いありません。しかし人間の可能性はあくまでも可能性であって、たとえば春になり一定の条件が満たされれば草木が必ず芽を出し花を咲かせるという、いわば固定した可能性とは違います。人間の可能性は、自ら学習し努力することによって、いかようにも大きく開花させることができるものなのです。少年は可能性の塊なのです。本校生徒には、勉学はもちろんのこと、様々な行事やクラブ活動など多彩な体験を通してその内に力を蓄え、将来大きく花開いてほしいと願っています。巣鴨学園はすべての生徒の可能性を信じ、その将来に期待しています。本校は、我が国の代表的哲学者であり、特に日本社会学の祖と仰がれた遠藤隆吉博士によって創立されました。遠藤博士は、旧制前橋中学校・旧制第一高等学校・旧制東京帝国大学哲学科を卒業後、直ちに東京高等師範学校講師となって学究生活に入り、32歳の若さで文学博士の学位を取得しています。1908(明治41)年に博士が創設した「日本社会学研究所」「易学研究所」は、多くの学術研究論文の発表および著作の出版等により社会に広く教育的機能を果たしていました。1910 (明治43)年、遠藤博士は硬教育による男子英才教育と人間研究の実践を目指し、現在の学園と同じ所在地に私塾「巣園学舎」を設立(後年、この塾出身者から著名な学者が生まれています)。しかし、博士の初志は学制制度による私立学校創設にあったため、充分な準備期間を経て機の熟した1922(大正11) 年、当時の東京市長であった後藤新平伯らの後援を得て、ついに旧制巣鴨中学校を創立しました。その後、1924(大正13)年に巣鴨商業学校を併設、1928(昭和3)年には旧制専門学校である巣鴨高等商業学校を増設し、学生生徒数 4,000名の大学園として名を馳せた旧巣鴨中学校でしたが、東京大空襲にて校舎が全焼。校舎復旧の後、学制改革を受けて1947(昭和22)年に現在の巣鴨中学校が設立されました。翌1948(昭和23)年に巣鴨高等学校を設立、2校を併置する中高一貫の学校法人巣鴨学園となり現在に至っています。第1回より卒業生は3万名にのぼり、学界、実業界、官界、政界等の第一線に数多くの有力な人財を輩出してきました。25-Principal--Founder-

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