1906年 米国ディサイプルス派の外国伝道協会宣教師ガイ博士により聖学院中学校創立。 初代校長 石川角次郎。1937年 新校舎竣工・本館(~1997年まで)。1947年 学制改革に伴い聖学院中学校(新制)設置。1948年 聖学院高等学校設置。校名を『聖学院中学校高等学校』と改称。1974年 新体育館竣工。1981年 新館竣工(現中学棟)。1983年 ディサイプルス教会日本宣教100周年、学校法人聖学院80周年式典。1997年 創立90周年記念事業として聖学院中学校高等学校の本館、講堂の改築工事着工。1999年 創立90周年記念事業として聖学院中学校高等学校の本館、講堂竣工。2016年 聖学院中学校・高等学校創立110周年を迎える。2021年 第13代校長 伊藤大輔就任。2023年 ディサイプルス教会日本宣教140周年、学校法人聖学院120周年式典。沿 革 「あなた方は地の塩、世の光である」。イエス・キリストが群衆に語った言葉です。 「地の塩」人を生かすもの水と塩。命に欠かせないものです。この世界に欠かせないもの、それがあなただ。 「世の光」暗闇を終わらせるもの。希望、未来。人に、世界に前に進む力を与えるもの、それがあなただ。 イエス様は「地の塩、世の光」を努力目標とは言っていません。あなたはまだまだ力不足だけどがんばれば「塩」に「光」になれる、とは言っていません。宣言をしています。 「あなたは地の塩、世の光だ」と。 教育は私たちに足りない知恵、知識、技術を会得し、より多くのものを蓄えること。それを成長とすることはよく承知しています。聖学院の日々に授業、活動も同じです。積み重ねていく、それも学校の務めです。 そして聖学院はもう一つの務めも負っています。 「削り落としていく」です。 イエス様は群衆に「地の塩、世の光」と言ったすぐ後にこう言います。塩なのに人は自分を砂のように扱っている。光なのに、その光をテーブルの下に隠している。どうしてそのようなことをするのか。人の目が気になる。人の言葉、評価、富、名声、自分以外のものに心が奪われると「塩」「光」を失う、と。 自分以外のものが心に貼り付けば自分の心が見えなくなります。自分の心を見るために、知るためにしなければならないこと。私の心は自分の心か。何も貼り付いていないか、常に問うことです。 人が心に貼り付けるのには理由があります。それにすがりたいからです。頼りになるから貼り付けます。ですが自分以外のものを貼り付けて出来上がった心は偽物の心です。自分以外のものを頼りにするとは依存し、支配を受け入れることです。不自由な人生を送ることです。 人は自由なのではないか。聖学院が信じている人の姿です。自由であるために必要なこと。「削り落とす」です。自分以外のものが自分に貼り付いていると思ったら勇気を持って削り落とす。そして難しいのは「削り落とす」が良い、と思ったら、それは「削り落とす」が自分に貼り付いたことになります。「削り落とす」に支配されること、削り落せていません。不自由のままです。 本当の自分の心に出会う。学問、芸術などが人類の歴史と共に格闘してきた課題です。答えが言語化できなくとも人が取り組まなければならない課題です。 私が「塩」「光」であることを確かめるために聖学院はこの課題と向き合っています。校長/牧師伊藤 大輔Profile1981年、聖学院高等学校卒業。東京神学大学大学院博士課程前期修了。南国教会(高知)、銀座教会(東京)、また、児童養護施設堀川愛生園で指導員、青山学院大学高等部などで非常勤講師などを歴任し、現在は渋谷区代官山にある本多記念教会牧師。2021年4月より第13代聖学院中学校・高等学校校長として着任。2SEIGAKUIN JUNIOR & SENIOR HIGH SCHOOLP r i n c i p a l ' s M e s s a g eH・H・ガイ博士
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