自由学園中等部・高等部|デジタルパンフレット
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創立者 羽仁もと子・羽仁吉一2 4 自由学園 中等部・高等部 School Guide 2026食事の準備(1930年)た 。もと子と吉一 は 、人格 的な 愛に根 差した結 婚 を 選 びとり 、従 来 の「 家 」から 独 立した友 』( 19 0 8 年 )を 創 刊 。独 立して出 版 社・婦会 は 限ら れており 、社 会 的 立 場 は 弱 いもの場 所 で も「 自 分で 」学 び つ づ けることや 、女性 が 社 会 のな かで 仲 間 をつくることも呼 び自由 学 園 の 創 立 者 は 羽 仁もと子 、吉 一 夫 妻です。二人はそれぞ れの青年時 代にキリスト教に出会い、クリスチャンによる婦人 運 動や社会 改革に関心を抱き、新聞記者となりまし新しい 家 庭 建 設 を志します 。「 新しい 生 活 」に実 際 に 必 要な衣 食 住や 生き方をテーマとする雑 誌『 家 庭 之 友 』( 19 0 3 年 )や『 婦人 之人之 友社を興しました(19 09年)。羽仁 夫妻 が 仕事を始めた頃の女 性の教 育 機でした 。羽 仁 夫 妻 は 様 々な 境 遇 にある女 性たちの悩みや願いを聞きとりながら、彼 女たちが「 自分 の 生 」の 尊さを重 んじ 、主体 的 に生きることを深く励ましました 。学 校 以 外 のかけました(後に全 国友の会として発足)。このように 広 い意 味 で の 教 育へ の 関 心 か ら 、やが て新しい学 校「自由学園」が 誕 生するのです(1921年)。創 立者は 、学 校 で の 様々な学び で 特に重要なのは 、新しい意 味で の「 生 活 」を経 験することだと考えました。羽仁もと子はそれを「自分の生を経営」する学びと表 現しました 。つまり 、自分自身 が 生きることの主体、経営者になるということです。学 校 は 単 に 知 識 や 常 識 を 詰 め 込 む 場 所で は あ りま せ ん 。自 分 の 手 と 頭 と 心 を使って「生 活」を創りだしていく「生 活 即 教 育」は、自分自身の独 立した考えと、他の人との 協 力という両 方が 必 要です 。この 経 験 を積み重 ねることを通じて 、生 徒 たちがより広い 社 会に対 する真 剣な興 味を育み、理 想を抱き、良い 社 会を創りだす人に成長する―― 羽仁もと子は1932年の講 演で「学 校は 単に社 会に人材を送り出すところであるという思いにかえて 、教 育は 新社 会をつくるものであるという信 念を打ち建 ててゆきたい」と力強く語りました。この志を、現代の私たち自由学園は引き継いでいます。「自分の生を経営」する日々の学びのなかで、私たちは「自分 の生」を大 切にすることにも、他者の 生を大 切 に共に生きていくことにも 、しばしば失 敗し、自信をなくして悩みます。羽仁もと子は、「思 想しつつ 生 活しつつ」歩んできたつもりの自らの人 生 に 、常に神 を慕 い 求 め る「 祈りつつ 」が あったことを見いだし 、「 思 想しつつ 生 活しつつそれ よりもな お 祈り求めつつ 」生きていく幸いを人々に語りました(1927年)。生 きることは まさに「 しつ つ 」の な か に あります 。毎 朝 の 礼 拝 から始まる自由 学 園 の 生 活は 、生の創り主である神が 一人ひとりを愛しておられること 、それ ゆえに 私 たちが 互いに愛し合うべきことに目を開かせてくれるでしょう。あなたが自由学園で 過ごす全ての時間は、あなたがどう生きるかにつな がっていきます 。自分 の 生を本当に活 かすための学び を 、共に 創りだしていきましょう。自由学園 高等部校長佐藤 史伸 (さとう しのぶ)いのち「学校」だけが学ぶ場ではない新しい「生活」の経験生きることは「しつつ」の中にJiyu Gakuen since 1921「自分の生を経営する」学びから始めよう

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